村上春樹は文壇にデビューしてからすでに30 余年立った。村上文学においての姿勢が前期の「デタッチメント」(かかわりのなさ)から後期の「コミットメント」(かかわり)に転向していくことは多くの研究者によって指摘されている。前期の十五年の村上文学においては、一種の「デタッチメント」の雰囲気が漂っている。小説の主人公は、社会から離れ、あらゆるものから距離をとり、無関心で、冷静な態度で自我の世界で生きていく。村上春樹はこの冷酷かつ効率的な現実社会における孤独感と喪失感を描くことにより、日本社会の本質を探ろうとしている。個人が社会においてどのような位置に立つか、どのように生きていくべきかというようなことが伝わってくる。後期の十五年の村上文学においては、「デタッチメント」から「コミットメント」に転換していくことが見られる。村上春樹はさらにシステムに縛られる個人に注目し、改めて歴史と現在のシステムを熟考し、作家としての責任を果たし、世間の人々に啓示を与えることにコミットしようとしている。個人の内面生活への関心から社会システムへの転換は容易にできることではないが、1995 年に起こった地下鉄サリン事件は、村上文学における姿勢転換の重要な契機となった。『アンダーグラウンド』(1997 )および『約束された場所で』(1998 )は、当事件に関わる被害者およびオウム信者(元信者も含む)への取材をまとめて書かれた事件の現場を再現するノンフィクション作品であり、村上春樹が社会に「コミットメント」という姿勢を完璧に現している作品でもある。
本論はその2 作を中心に、村上文学における姿勢転換前後の作品群を対照しながら、姿勢転換の根本的な原因、または村上文学における「コミットメント」の意義も検討してみたい。本論は4 章に分けられている。第1 章では、村上春樹の諸作品をとりあげ、先行研究を踏まえ、「デタッチメント」から「コミットメント」へという姿勢転換および村上春樹みずからが「井戸を掘ること」と「コミットメント」についての認識を紹介する。第2 章と第3 章においては、『アンダーグランド』と『約束された場所で』のテキストを分析し、地下鉄サリン事件が村上文学にどのような影響を与えるかを論じる。第4 章においては、全稿の論点をまとめ、そして、『海辺のカフカ』、『1Q84』などの作品に触れながら、村上文学における「コミットメント」の意義を検討する。
目次
はじめに
第一章 村上春樹文学における「デタッチメント」と「コミットメント」
第一節 「デタッチメント」から「コミットメント」への転換
第二節 「井戸を掘ること」と「コミットメント」
第三節 先行研究と本論の視座
第二章 『アンダーグランド』における「コミットメント」
第一節 『アンダーグランド』における創作の動機と姿勢
第二節 「こちら側」の物語
一 事件現場における「こちら側」の様子
二 「こちら側」から見る現場の良心とシステムの根本的な欠陥
第三章 『約束された場所で』における「コミットメント」
第一節 『約束された場所で』における創作の動機と姿勢
第二節 「あちら側」の物語
一 オウムに預けた「あちら側」の欠落した人間たち
二 オウムの閉鎖回路とシステムへの抵抗
第四章 「コミットメント」の本質とゆくえ
第一節 「こちら側」と「あちら側」についての反省
第二節 「コミットメント」の行方
おわりに
論文の目的と研究テーマ
本論文は、日本文学における村上春樹の創作姿勢が、キャリア初期の「デタッチメント(関わりのなさ)」から、1995年の地下鉄サリン事件を転換点として、後期の「コミットメント(かかわり)」へとどのように変容したかを解明することを目的としています。研究は主に紀実文学『アンダーグランド』と『約束された場所で』を軸に進行されます。
- 村上春樹の文学における「デタッチメント」と「コミットメント」の定義と変遷の分析。
- 1995年の地下鉄サリン事件が作家の創作姿勢に与えた影響と契機の考察。
- ノンフィクション作品を通じた、社会システムと個人の関わりについての批判的考察。
- 「井戸を掘ること」という村上春樹特有のメタファーが持つコミットメントの意義の解明。
- その後の小説作品における社会参加とコミットメントの限界と可能性の検証。
本書の抜粋
第一節 「デタッチメント」から「コミットメント」への転換
加藤典洋(2009)と林少華(2010)は村上春樹がデビューして以来の村上春樹の作品を 2 期に分ける。加藤によれば、デビュー作『風の歌を聴け』(1979)からノルウェイの森(1987)までの間を第 1 期に、アンダーグランド(1997)以降の時期を第 2 期としてまとめてられている。第 1 期から第 2 期への移行はどのように生じているかについて理解するには、『ダンス・ダンス・ダンス』(1988)から『約束された場所で』(1998)までの 10 年間を「過渡期の 10 年間」と想定した。加藤(2009)によって、第 1 期の村上春樹の文学の「ストラクチャー」が「その根源に喪失を抱え、都会的な感性のまにまにあるイノセントなものを追い求める」というものであったのに対して、第 2 期のそれは「デタッチメント」から、「コミットメント」へ。「イノセンス」から、「広義の意味での愛情へ」3と表現される、といったかたちで言い表される。
林少華は村上がデビューして以来 30 余年の創作時期を 2 つの段階に分ける。前期の 15 年において村上春樹は主に個人の詩情によって霊魂の自由を求め、後期の 15 年においては体制(システム)と戦うことによって霊魂がシステムに絡め取られ破損され、囚われるのを避け霊魂の自由を得ようとする。
以上のように、2 人とも村上春樹文学においての姿勢が前期の「デタッチメント」(かかわりのなさ)から後期に至って「コミットメント」(かかわり)が見られるという。村上春樹の初期作品において、70 年代以降の消費社会を背景にした「孤独を維持すること」という倫理が追求されていた。小説の主人公は、あらゆるものから距離をとり、「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない」という無関心の態度を持って生きて、決して自らが能動的に進んでいる主体ではない。
章の要約
第一章 村上春樹文学における「デタッチメント」と「コミットメント」: 村上春樹の初期から現在に至るまでの文学的な姿勢の変遷を概観し、先行研究を通じて「デタッチメント」から「コミットメント」への移行プロセスを定義します。
第二章 『アンダーグランド』における「コミットメント」: 地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューを記録した本作を通じ、作家が「こちら側」の人々の証言に耳を傾けることで、どのように社会的当事者意識を構築しようとしたかを分析します。
第三章 『約束された場所で』における「コミットメント」: オウム真理教信者および元信者へのインタビューを対象に、事件の加害者側である「あちら側」の論理を考察し、閉鎖的な社会システムが個人をいかに支配するかを論じます。
第四章 「コミットメント」の本質とゆくえ: 全体の論点を総括し、『海辺のカフカ』や『1Q84』などその後の作品にも触れつつ、村上春樹のコミットメントが果たして社会の変革に寄与し得たのか、その行方を検討します。
キーワード
村上春樹, 地下鉄サリン事件, 『アンダーグランド』, 『約束された場所で』, デタッチメント, コミットメント, 社会システム, 井戸を掘ること, 危機管理, 被害者, オウム真理教, 創作姿勢, 日本社会, 自己変革, 現代文学
よくある質問
1. この論文はどのようなテーマを扱っていますか?
この論文は、日本を代表する作家・村上春樹の文学における創作姿勢が、キャリア初期の「デタッチメント」から、地下鉄サリン事件を機にいかに「コミットメント」へと変化したかを学術的に分析したものです。
2. なぜこの二つの作品が選ばれたのですか?
『アンダーグランド』と『約束された場所で』は、村上春樹がノンフィクションの手法を用いて実際の事件関係者に取材を行い、初めて社会的な出来事に対して直接的にコミットしようと試みた重要な作品群だからです。
3. この論文が提示する主要な問いは何ですか?
「村上春樹の文学において、社会のシステムと個人のあり方はどう変容したか」および「サリン事件という巨大な暴力に対し、文学という手法でいかに向き合おうとしたか」を明らかにすることです。
4. 村上春樹が用いた「井戸を掘ること」とは何を意味しますか?
それは、自身の内面や物語の深淵を掘り下げていくプロセスを指し、その深淵の底でシステムに支配されていない他者と深く繋がる、あるいは社会の本質に触れるための村上特有のコミュニケーション手段としてのコミットメントの比喩です。
5. 村上文学の「コミットメント」にはどのような限界が指摘されていますか?
論者は、村上春樹の社会への関与が強まった一方で、なおも彼自身の「自我論」における二元論(こちら側とあちら側の対立)を完全には克服できておらず、文学的な解決が現実の社会問題を解くには単純すぎる可能性があると指摘しています。
6. どのような研究方法がとられていますか?
先行研究の文献レビュー、対象となるノンフィクション作品のテキスト分析、および関連する著者本人の発言や対談記録の検証を行い、理論的かつ実証的にアプローチしています。
7. 「こちら側」と「あちら側」という表現は何を表していますか?
著者は、被害者側を「こちら側」、加害者であるオウム真理教側を「あちら側」と定義し、それぞれの語りを通じて社会システムの内包する不完全さや閉鎖性を対照的に記述しています。
8. 今後の村上文学はどう評価されるべきだと結論付けていますか?
単なる「デタッチメント」からの脱却として評価するだけでなく、彼が構築した「物語」というモードが現代社会の複雑な問題をどれだけ真に捉え、突破し得るかについて、より深い議論を続けていく必要があると結論付けています。
- Quote paper
- Yuqi Chen (Author), 2017, Murakami Haruki bungaku ni okeru komittomento e no tenkan, Munich, GRIN Verlag, https://www.grin.com/document/427743